亀屋の思いを動画にしました
人生の節目や、季節のイベントで食する和菓子だからこそ、心を込めて一つ一つ丹念に作っています
現在、和菓子はコンビニでも手軽に購入ができ、「和食」が世界無形文化遺産に登録されたこともあって、世界的にも和菓子の需要が増加しています。
また、和菓子の命と言われるあんこも、菓子パンの需要も増え、あんこの消費が年々増加傾向にあります。しかし、日本経済の成長率低下の影響もあり和菓子の価格が低迷して状況が続いています。
これらの背景から、和菓子でも大量生産、効率化、低価格化を実現する必要があるため、中国産、カナダ産のアズキの輸入が増加し、さらに、海外で既に加工された加糖アンとして輸入されたあんこをそのまま利用するケースもあります。
昔からは考えられないような効率化が進んでいます。
そんななか、和菓子亀屋では、時代遅れと思われそうですが、昔ながらの手作業で職人がアズキから、日々、こだわりのあんこを真心を込めて作っております
そんなこだわりのあんこ作りを紹介させていただきます
和菓子の命であるあんこは、アズキ、砂糖を原料としています。その原料について記載します
亀屋のアズキは、あくまで国内産にこだわり、北海道産のエリモ小豆を使用しています。
エリモ小豆は、雨や寒さにも耐えて育つ品種でかつ、天候により味や風味を損なわなず、餡にした時の食味が安定して美味しい、このため、有名な和菓子屋などでも多く使用されています。
亀屋の砂糖は、白双糖を使用しています。
白双糖は、最高級のザラメ糖として、最も純度の高い砂糖で美しい結晶と上品なクセのない甘さが特徴、高級なお菓子で多く利用されている
※商品の加工適正により、上記のアズキ、砂糖とは別の原料を利用する場合があります。
和菓子において餡はとても大きい構成要素です。ほとんどの和菓子で重量比50%をこえています
餡の主な材料である小豆の煮方の話です。
小豆を煮る場合家庭用として煮る場合と業務用として大量に煮る場合では条件が違うので、一般的に言われてるような煮方はしません
国産の小豆は給水が早く、煮やすいため前日からの水漬けは行わず、計量し洗浄した後。あらかじめ十分沸騰させたお湯を用意し、そこへ小豆を投入します。
水から小豆を煮上げると、どうしても鍋の上面から温度が上昇していくため煮えムラが起きるためです。
沸騰が始まったらよく釜の中を確認し、全体に小豆の皮がふやけていたらザルに上げ、一旦雑味の素となる煮汁を全て捨ててしまい。
新しい水で煮ます。この工程はとても大切で、雑味のあるあんこになるか、あくと一緒に旨味成分まで流してしまう味気のないあんこになるかの分かれ目になります。
※従来のびっくり水の問題点・・・
アズキは表皮が固く内部まで温度が届かない、このため、びっくり水を入れる事により、内部と表面の温度を均一させます。また、長時間を煮込むと水分で表面が膨張し、しわが発生します。このしわを伸ばすために、びっくり水をいれると、内部に水が入りしわが伸びます。
しかし、この行為は、アズキに内部に急激に水が浸透するので、渋みが発生している水を吸収するため、アズキに渋(タンニン、サポニン等)が吸収され、それが雑味となります。
このため、キレイな水を入れ替る事により、同じ効果を得ています
ここから沸騰するまで強火で煮上げて行き、沸騰したら火を弱め豆が水面から顔を出さないようにお湯を足しながら目的の硬さまでに上げていきます。
本炊き後のふたをして、時間をかけて豆を蒸らします
そうすると、ふっくらとしたアズキができあがります
煮あがったアズキに砂糖をいれて、
練り窯に移します
大福に使う「つぶしあん」はそのまま砂糖を加え煉っていきますが、最中に使う「つぶあん」では蜜にした砂糖を合わせ一晩小豆に蜜を含ませてから翌日短時間で煮上げます。
・和菓子は生活の必需品でなく、ぜいたく品なので思いや味にこだわりたい
・人生の節目、季節のイベンドの思い出とともに和菓子を味わってほしい
・あの時に食べたお菓子が美味しかった、あの時に作った和菓子が楽しかった、そんなあなたの人生の思い出に残るような和菓子を提
亀屋のルーツは、江戸時代から続いていた浅草橋の老舗和菓子店・亀屋近江から、のれん分けを許され、1938年(昭和13年)に世田谷の経堂で亀屋を開業しました。
亀屋近江は、江戸時代史料の『東都御菓子調進司』という江戸のお菓子屋さんの番付表にも記載されています。
この番付表は、大相撲の力士ランキングを表にした「相撲番付」を模倣して、さまざまなジャンルのランキング表が江戸時代後期ごろに流行し、料理屋、温泉、名所があります。「良妻・悪妻番付」等の変わり種の番付もあります。
初代代表:舘野貞助は、浅草橋の老舗和菓子店・亀屋近江から、のれん分けを許され、現在の世田谷区経堂の地に和菓子亀屋を創業。
当時は、最中、羊羹等を中心に販売
太平洋戦争が勃発にともない、開戦の翌年の1942年(昭和17年)に企業整備政策で営業を中断となりました。
終戦からの営業再開
昭和23年3月 合資会社龜屋商店を設立
昭和34年 4月 資本金を増資し、工場並びに支店を改増築
昭和36年12月 2代目貞一が代表となる
昭和45年 4月 本店改装
昭和57年 4月 新社屋落成に伴い本店店舗並びに工場改築
平成20年07月 本店改装オープン
平成20年10月 業務拡大のため法人組織を合資から株式へ変更
現在に至る。